【ウソ旅行記】砂上の楼閣ホテル

 鳥取県には砂丘しかない。

 関西出身の私にとって、鳥取県は滋賀県と同じような印象を持ってしまい、未だに真の魅力を測り損ねている気がしている。滋賀県は琵琶湖の他にも、びわ湖バレイのスキー場やマキノの並木道観光資源がたくさんあることを私は知っている。

しかし鳥取県である。おそらく他にもいろいろあるのだろうが、どうにも砂丘の割合が大きすぎる。

 今回行くことになったのは、砂丘の上に立つリゾートホテルがあると聞いたから、そしてその往復チケットを知人からもらったからである。

「都合が悪ければ旅行券に引き換えができる」と聞き、すぐ引き換えようと思ったが、パンフレットを見ると夕食はカニ、朝食はカニパン、昼食はカニチャーハンと書いてある。

これはアレルギーが出たとしても行ったほうがいいと思ったので、一泊二日の小旅行へと繰り出した。

 行きのスーパーはくとは案外混んでいて、大阪から乗車する客が多い。車内販売のワゴンではお決まりのスジャータアイスのほか、カニキーホルダーなどが販売されていた。鳥取県は台中市と姉妹都市であるため、一部の地域で客家語が使われる場合もあり、語学入門書も販売されていた。4号車と5号車の間の自販機では、おそらくお土産用であろうと思われるカニ缶も販売されていた。往路はともかく帰路では売れるのだろう。

 鳥取市駅を降りるとバスロータリーがあり、そこから「砂丘観光ステーション行き」を探し当て乗車した。鳥取市内であれば観光用のフリーきっぷが存在するが、1日分で1600円するほか、砂丘以外に行くべきところがわからなかったので購入しなかった。国道に乗り鳥取市内の街を抜けると、徐々に街道沿いの店舗が減り、観光にあたって整備されたと思われる煉瓦の道を通って忽然と前方の風景が消えた。

 砂丘だ。

 少し劣化したアスファルト舗装の道が建物に向かって伸びており、そこには「砂丘観光ステーション」という看板が掲げてあった。砂の美術館が併設されているそうだが、今回は見ることはないだろう。

砂丘観光ステーションの案内所の女性に聞くと、今回のホテルには徒歩でここから37分、ラクダで10分程度なのだと言う。また、結局砂に足が取られて倍ほどかかるので徒歩はやめた方がよいと言う(物腰が柔らかいので、「それならなぜ最初から1時間と言わないのか?」とは言えなかった)。ラクダを借り、シンムンと客家語でお礼を言い、砂の道へ歩き出した。ラクダは二輪車と同じぐらいの速度が出た。しばらく景色は変わらない、砂と空の境界線をゆったりと眺め進んでいくつもりが、かなりの恐怖を感じ、無性に田舎の母が恋しくなった。放り出されるのが砂の中では怪我はしないのだろうが、よしんば怪我したら助かりもしないだろう。

 辿り着いたホテルは中華式の作りで、古寺のような、赤い屋根に五重の塔が重なっており、周りにはすこしばかりのプールを含めたオアシスが整備されていた。リゾートホテルと言うには少し貧乏くさいと思ったが、無料で泊まれるのだから万々歳だ。ラクダにはそこで水を飲ませておいた。帰りも乗るとは信じたくはないが、他に移動手段のないここでは仕方のないことだ。

 フロントの女性に「部屋は201号室になりますので、階段でどうぞ」と言われ鍵を渡されたので、エレベーターホールの後ろにある階段を登ろうとする。

 すとん。

 もう一段登ろうとすると、すとん。すとん。と登ろうとした階段が同じ場所に落ちていき、建物が砂に床ごと沈んでいることがわかる。上方に持ち上げた位置エネルギーが意思を持ち、あれはない、これはない、と文句をつけているような感じがする。これは比喩ではなくまさしく『砂上の楼閣』だから、基礎ごと沈んでいっていると思われた。このままきちんと部屋にたどり着くのか、はたまたそのまま沈んでしまうのか、すとん、すとん、すとん、こうなってしまうのなら砂丘で足を取られたほうがまだよかったかもしれない。

 なんとか部屋に辿り着き、荷物を置いて少し眠るともう夕食の時間だった。窓の景色は美しかったのだが、少ししか見られなかったのが勿体ない。

 部屋に料理を運んできたウェイターは、一礼をして前菜の胡麻豆腐とキヌアサラダを置いた後、「あっ」となにかに気づき、私に打ち明けた。

「すみません、大事なことを言い忘れていました。今日、カニ無いんですよ」

「えっ」

かなりの声で驚いてしまった。

「申し訳ございません。漁の都合で」

「えっ、漁の都合ってさあ、こちとらカニ食いに来てんだよ、鳥取なんかカニがなきゃ来ねえよ、砂と富士通の工場しかないだろ、どういうことだよ。養殖でもカニカマでも出しゃいいじゃねえか」

私としてもこんなに大きい声を出したくないのだが、どうしても旅の疲れからか、階段での不可解な出来事からか声を荒らげてしまった。

「その代わりに本日は特別なメニューを用意しております」

牛ノ戸焼の平皿に、白いぶよぶよとした見た目の、四角く切り揃えられたホルモンのようなものが載っている。しかし焼き物ではないのか、七輪やプレートは無く、山葵と薄い醤油の入った小皿が添えられており、何かの刺し身であることがわかる。

「これは?」

「先程、表で捕まえてきました、ラクダのコブでございます。

 本日、昼に締めたところでございまして。コブ以外にも、出来たてのラクダチーズ、焼き立てのラクダロースのステーキ、挟み立てのラクダスネ肉のハンバーガー、デザートに冷やし立てのラクダ乳のアイスクリームもご用意しております」

ああ、……それは先ほど乗ってきた、あのラクダなのではないか。これは帰れなくなってしまった。1時間もあの砂の中を歩くとは。

「お待たせいたしました。焼酎、『流砂』ロックでございます」

頼んだ鳥取の地酒だ。もう呑むしかない。一口煽るとスムースな口当たりに甘い米の風味が広がり、かすかに梨のような後味がしてうまい。21世紀の味だ。

 ラクダのコブも、想像していたよりかなりうまい。2杯目の酒を流し込むと、口角が緩み、ふふ、と笑ってしまた。

 ははは、わははははと大きい声で笑うと目の前の景色がぐるりと回った。酔っ払ったかと思い水を手にしようとする。コップは右手をすり抜け顔に当たり、目と髪を濡らした。先程の醤油が服を汚し、その後に鉄板が飛んできて、ラクダのステーキが顔に直撃した。足が床から離れ、天井が上側に開き、外から流れ込んだ砂に押されてガラス窓が割れるのが見えた。室内に砂が浸入し、先程の『流砂』が流砂で割られてしまった。テーブルが頭の上に来たので、『カニが食べたいなあ』と強く思った。『今カニが食べられたとしたら、逆に良い思い出になるような気になるかもしれない』と思った。あと、富士通の工場は、島根県だったかなあ、とも思った。

 私は、砂上の楼閣が崩れて死んだことがある。

 

 

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