さて、パラサイトである。ボン・ジュノ監督、ソン・ガンホ主演。カンヌ最高賞受賞。
先月金曜ロードショーで視聴しててっきり感想を書いたものだと思いこんでいたがまったく書いていなかった。Twitterは呟きというかうめきというかそういうのであって感想ではない。
友人に「格差社会を題材にしてカンヌ取ったの分かるよね」と言ったら「韓国映画嫌い」と言われてしまったのでしっかりと書いておきたい。
あらすじ。
全員働き口が無く、内職など細々とした仕事で食いつなぐ、半地下に住むキム家の4人。
主人公の長男ギウは大学生の友人のミニョクから、「自分の留学の間、家庭教師のバイトを代わってもらえないか」という話(とデカめの石)を持ちかけられる。
学生ではないギウは断ろうとするが、高い報酬と「若くてシンプルな奥さん」には話が通るだろうということで替え玉を受ける。妹のギジョンは絵画の才能があり、Photoshopも使える(ただしパソコンは無い)ので名門大学の学生証を偽造し、パク家に面接に向かう。(この続きは本編を見てね!)
「オールド・ボーイ」ではかなり痛々しいシーンが多かったり、同じくボン・ジュノの「グエムル」では怪物の反応を観るために人々が次々に川にゴミを捨てまくったりしているシーンがあったりしてまあまあ韓国映画のイメージが悪かったんですが、今回そこまでひどいシーンは無く見やすい映画だと思いました。
それでも冒頭に便所コオロギが出てきたのでウッとなってしまった。トイレが逆流するシーンは汚いというか、そもそも雨水が全部入ってきてるようなシーンなのでそこまで気にならなかったです。
テーマとしては格差社会がまず来ると思うんですが、それに加え雇用の無さ、ひいては雇用が社会的な階層によって分断されているということ。
もちろん戯画化されているので、韓国が本当にこういった社会だと思いませんが、福満しげゆきの言葉を借りるところの「この世はコネコネ社会」というヤツで、結局金持ちに見初められないと信用がないから雇用もない。アジアの映画って日本含めこういうのを躊躇なく描いて平気なのがいいと思います。
大学入学できる学力で策士の長男と、Photoshopが使えて長男の話から「雇用計画」を思いつく抜け目のない長女と、ハンマー投げの選手のオカンと、運転手やってたオトン(オトンインパクト弱いな)が「一家揃ってピザの箱を折る内職をやっている」という社会的損失が、韓国経済にどういう影響をもたらすのか、まあそういった話であり、貧困層に寄り添い貧困層の怒りをぶつけている。
観て一番最後に思った感想としては、最後に閉じ込められている父に対して想ったメッセージとして、「学校には入学せず、働く」という選択肢を選んだことが一番の皮肉であり、「閉じ込められている父には(豪邸に残された食べ物や、実際に豪邸も事故物件扱いで)タイムリミットがあるのに、働いて間に合うのか」「保釈後の人物がどうやって、どんな職に就くのか」「出来事の前にも無職だったのに、可能性を狭めてどうするのか」『だからお前ら働けないんだよ』という監督からの痛烈なメッセージだったのではと感じました。これ考えすぎか?
「不幸な人は自ら選択的に不幸になっている」「賃金は働く場所で決まる」ということもあります。これは考えすぎなのかもしれませんが、ギウの性格はいろいろと能天気なパク夫人に対してかなり対比的です。もちろん「金持ちはアホばっかり」というステロタイプに落とし込んでいるということもあるとは思いますが、「私は幸せです」と思い込むことも時には重要なのかもしれません。まあ……それで言うと地下室にいたグンセは相当幸せそうでしたが……。
テクニカルな方面から見ると、映画のちょうど真ん中66分のところで豪邸の「地下室の扉が開く」シーンが来ているとのことで、ここからガッと潮目が変わる、善悪の価値観を揺さぶられるところになっているのはご存知の通りかと思います。
他の映画は2時間映画で「30分ほど日常シーンやって、そこから事件が起きて60分頃から見せたいシーンに」みたいな構成が多い(とくに邦画かな)。
この映画は真ん中で切った後、更にもう一回後半の真ん中で切って、更に更に残りの真ん中で切って……というような展開が多く、着地点をわからなくさせて視聴者を翻弄することに成功している。そもそも一家4人が就職するだけで成立しそうな話にもうひとつひねりを加えているところで、もちろん映画予告をパッと見た時の単純なる貧富の差、見えうる範囲での不幸とはまた違う方向からのアプローチがある。
半地下の家は「確認できるけれど見えにくい貧困」、地下室は「見えない貧困」のメタファーであり、(これは他のサイトで読んで知ったことではありますが)ムングァンの写真の送信ボタンを核ミサイルのボタンと形容したように、資本主義国にぶら下がる北朝鮮がいる。これは韓国でないとできない芸当というか、他の国がやったところで付け焼き刃にしかならない。そこで、地上に住むパク一家が「切り干し大根みたいな匂い」などと、イノセントな悪口を言ってしまうと最終的に窮状に陥ったときに串刺しにされてしまう。
2つの家族の話から、前述の世界情勢に繋がるルーブ・ゴールドバーグ・マシンのような仕掛けを可能にしているのは、無駄のないストーリーと画作りであり、「寄生虫(※原題)」という直截的な題名が我々に提示しているのは、「この映画で寄生虫として描かれているのは誰か」「現実で寄生虫として生きているのは誰か」「寄生虫を生き存えさせているのは果たして誰なのか」というシビアな問題なのかもしれません。これは深刻な社会問題であり、国際問題でもあり、子供の冗談にも使われる、そういった味わいがブラックユーモアに深みを持たせているのでしょう。
そういった問題はさておいて、とてもお金がかかるのでキメセクにハマるのは良くないなと思いました。
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